空鶴先生
くうかく
待機なし
プロフィール詳細
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言霊(ことだま)とは私が神仏から受けとることができるメッセージです。
人はどんなに辛くても、人生という列車から途中下車するわけにはいきませんよね
どうしようもなく悩んでしまうことも起こりえます。
そんな時、この言霊に触れていただきたいのです。
あなたに対しての見えない世界からのアプローチです。
私はあなたが望むとき、あなたの道しるべになれるよう祈ります。
メッセージはあなたへのアドバイスを明確にお伝えします。
幸多き人生になるお手伝いをさせて下さいね。
研ぎ澄まされた霊視霊感を始め、様々な占術から導き出されるお答えは 非常に驚くほど的中率も高く、ただただ圧巻の一言です。
ご相談者様自身が知り得ていない新たな自分をお伝えくださり、これから向かうべき方向性を時期や事柄など含め、詳しく指南してくださいます。
鑑定師歴も長く、人生経験豊富な先生ゆえに、あらゆるお悩みに対して真摯に取り組まれ、優しいアドバイスをお伝え下さりますので 老若男女問わずに定評を頂いております。
関西一週間(雑誌) / FRAU(雑誌) / an(雑誌) / J-one(雑誌)
こんにちは。
空鶴(くうかく)です。
ゴールデンウィークも終わり、いよいよ、梅雨本番を迎える時期がやって来ましたね。
以前、仏教のことわざの中で、
●一志不退(いっしふたい)。
志を立てたら、決して引かないこと。
我が志と共に歩み続けること。
という言葉をご紹介しましたら、それを信条にして下さっているとの嬉しいお言葉を頂きました。
なので、またいくつか書かせて頂きますね。
主に、禅のことわざからです。
私が今回共感したのは、「同時」「無心」。
日常生活でも聞き慣れた言葉ですよね。
それだけ、禅だけでなく、仏教自体が、人々の生活に昔から根付いていることがわかります。
●同時(どうじ)
先ほどお伝えしたように、共感を示します。
常に、相手の立場になって、物事を考え、見るという意味。
●無心(むしん)
心の中にあるさまざまな計らい事を取り払うことです。
雑念を追い出して、裸の自分と対峙すること。
その時間を持つことで、人間は自分を取り戻すことができるのです。
「祈る」という行為は、まさに、心を空っぽにすること。
つまり、「無心」の状態を作ることです。
●無念夢想(むねんむそう)
祈りの禅語です。
自分を縛っている自我や執着心、そして妄想から離れること。
自分自身を苦しめている「とらわれの心」から解放されることです。
●以心伝心(いしんでんしん)
「絆(きずな)」とは、互いに断ち切れないほどの強い結びつきのことを示します。
この結びつきは、言葉や理屈のやりとりからではなく、言葉では表せない、心を伝え合うことでしか生まれません。
それは、相手のことを全身全霊で信じる姿に通じます。
●任運自在(にんうんじざい)
世の中の全てのものは、自ら、運び動いています。
春には植物は芽吹き、夏に向かって花を咲かせ、そこにたくさんの虫や動物が集まって来る。
全て自然の計らい事です。
こうした大きな流れに任せて、生きることが大切です。
●万法帰一(ばんぽういちにきす)
不幸せが永遠に続くことは、絶対にありません。
苦しみや悲しみが一生続くことなどありません。
今という時間を一生懸命に生きていれば、必ず状況は変わるのです。
そして、この世で起こっている森羅万象すべてのことは、いずれは同じ所に帰っていく。
万物は絶対的真理に戻っていくのです。
●日々是好日(にちにちこれこうにち)
良き日、悪しき日を比べることなく、その日、その瞬間にしか得られない大切なこと、そこにこそ目を向けて、生きている意味を感じとることが大事です。
日常生活に目を向けて、小さな生きがいの種をかき集めていれば、やがて、美しい花が咲くのです。
人生とは、山も谷もあるでしょうが、何のために生きているのか?生きがいとは何なのか?それは永遠のテーマですよね。
平凡な日々を繰り返せること。
そんな小さな幸せが本当に生きるということなのです。
今、地球の向こう側では常に争いが起き、ヨーロッパは難民であふれています。
アメリカの大統領選ではどんでん返しが起き、お隣の北朝鮮は核開発を繰り返し。
また、つい先月、熊本大地震が衝撃的でした。今でも、避難されている方が1万人を超えているそうです。
この世は、いつどうなるかもわかりません。
そんな時にこそ、今、日々、淡々と平凡に生かされていることに感謝しましょう。
いつ何が起きても後悔しない自分。
一番最初に戻りますが、「一志不退」。
惑わされない自分探しに取り組みましょう。
千里眼 空鶴
投稿日:2016/06/09
新年あけましておめでとうございます。
千里眼の空鶴です。
あわただしく、2015年も終わり、新たな年が始まります。
新年に当たり、ご挨拶代わりに私が敬愛する、陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明(あべのせいめい)について、少しですが書いてみたいと思います。
安倍晴明。平安時代の陰陽道(おんみょうどう)の大家。
超能力者また、占いの神様として、神秘的に扱われた人物。
西暦921年(延喜21年)の生まれとされるが、出自は定かでなく、西日本と言われる。奈良県桜井説が有力。
賀茂忠行・賀茂父子のもとに修行し、陰陽道と天文学を学んだ。
村上天皇や花山天皇、藤原道長などの信頼を得て、官職を歴任した。
白狐(妖狐)の葛の葉を母に持つと言われ、呪術や祈祷に長け、式神(十二神将)を自在に操ったとされ、数々の伝説を生んだ。
現在、京都市内の晴明神社と大阪市内の阿倍王子神社があり、そこに祀られている。
ざっと調べ書いてみました。
この陰陽師に関しては、2001年、狂言師野村萬斎主演で映画化され、ご存知の方も多いはずです。あの真田広之さんも出演していました。
確か、続編も公開されたはずです。
また、今をときめく、トップアスリート、フィギュアスケーターの羽生結弦が、フリーの演技のテーマで使っているのです!
その曲の名は「SEIMEI」。
安倍晴明を題材にしたものです。
世界最高得点で沸きましたよね。
これでまた、陰陽師が世界に知れわたったのかもしれません。
あの有名な「今昔物語」
内の逸話を一つお伝えします。
●幼少の頃、鬼を見た話。
晴明は、幼少の頃、陰陽道を独占していた賀茂氏の長、賀茂忠行に天文道を習っておりました。
ある日、師である忠行について、下京のあたりに行ったときの事。忠行は牛車、晴明はその後ろを歩いておりました。
ふと、前方を見ると、向こうからたくさんの鬼がやってくるのが見えました。忠行は車の中で寝込んでしまっていて、その鬼どもに気づきません。
晴明があわてて、忠行を起こします。
忠行は、すぐに術を使って、自分や供の者たちの姿を隠して、鬼どもから見えないようにして、危機を回避する事ができました。
この日から、忠行は自分の術を晴明に教え始めます。
幼くして鬼を見た晴明に、陰陽師としての才能を垣間見たのでしょう。
やがて、忠行は、天文道を晴明に、息子の光栄に暦道を継がせる事にし、この時から陰陽道は、二流に分かれます。
奥の深い陰陽道。
また、機会があれば、お伝えしますね。
2016年申年。
何とぞよろしくお願い致します。
ではまた。
千里眼 空鶴
投稿日:2016/02/16
千里眼の空鶴です。
今回は、2月に書かせていただいた仏教の教えに由来することわざを いくつかピックアップしてお伝えしますね。
まずは、前回、6月に触れた比叡山延暦寺に関することわざからです。
●朝題目に夕念仏(あさだいもくにゆうねんぶつ)
信念のない、信仰の定まらない人のたとえ。
ことわざの当初の由来は、天台宗の本山比叡山での修行の姿です。
天台宗は伝教大師最澄によって開かれ、法華経を中心に禅、密教、律、念仏などを総合的に学ぶ宗派です。
その為、比叡山では毎日、
①朝方に普賢菩薩を本尊とする法華堂で、法華経を読経。
②夕方に阿弥陀如来を本尊とする常行堂で、阿弥陀仏を念ずる。
という勤行をしました。
法華堂と常行堂とは渡り廊下でつながれており、こういう比叡山の日々の修行の姿を、「朝題目と夕念仏」といい、比叡山の修行僧が毎日熱心に勤行する姿を表す言葉でした。
比叡山は仏教の総合大学でしたので、全国から、仏教を学ぶ秀才が集まり、鎌倉時代には多くの宗祖を生み出しました。
たとえば法然は阿弥陀如来を信奉し、「ナムアミダブツ」のお念仏の教えを説いて、浄土宗を開き、源氏と平家が争う混乱の世に苦しむ民衆の絶大な支持を得ました。遅れて日蓮は法華経を旗印に「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて日蓮宗を開き、その頃の既成宗派の南都六宗や天台宗、真言宗、浄土宗などから強烈な迫害を受けたのです。
日蓮は他宗を折伏(しゃくふく)という独自の論法で攻撃し、特に念仏を執拗に攻めたことから、浄土宗と日蓮宗は犬猿の仲になったのです。
やがて、鎌倉時代以降になり、浄土宗や日蓮宗が盛んになると、朝題目が日蓮宗の「南無妙法蓮華経」をさし、夕念仏が浄土宗の念仏をさすようになったのです。
こうした、社会的な認識を背景に、もしも、朝言ったことと、夕方言うことが違うような人、いわゆるしっかりとした自分の意見を持たない、信仰も定まらないような人のことを「朝題目に夕念仏」というようになったのです。
もともとは、比叡山のお坊さんの真摯な修行の姿を表した言葉でしたのに、残念です。
●弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
その道の名人・達人といわれる人でも時には失敗するし、どんなに学問に秀で、学芸に長じた人でも、ときには間違う。
平安時代に三筆と称された弘法大師空海は、応天門の額を書いた時に、一文字の「点」を書き落としました。間違いに気づくと、筆を投げて「点」を修正したので「弘法の投げ筆」とも言われました。
こののち、どんなに学問に秀で、学芸に長じた人でも間違う、過誤があるということをあらわすことわざとして、使われるようになりました。
同様のことわざとして、
「猿も木から落ちる」
「上手の手から水が漏れる」
「河童の川流れ」
などがあります。
●知らぬが仏
①知れば腹が立つことも、知らなければ仏のように穏やかな境地でいられる。
②転じて、当人だけが真相を知らずに平気でいる様子を哀れみ、からかい、冷やかして用いられることわざ。
真相を知ると腹も立ち、苦しみも生まれるけれど、知らなければつまらぬ邪推もせず、気も揉まず、広い心の仏さまのように穏やかな気持ちでいられます。
現代では、当人のみが真実に気づかず、平気でいるのをからかい、冷やかすときに用いられる例が多いようです。
また、「知らぬが仏、見ぬが秘事」「知らぬが仏、見ぬが極楽」ともいいます。
ものごとの真相を知らない方が、穏やかな心でいられるし、世間の隠し事、秘事も実情を知り、実体を見るとがっかりする、というものです。
●転ばぬ先の杖(ころばぬさきのつえ)
杖を持って歩けば転ばず、倒れることもありません。
転じて、準備しておくことの大切さを示すたとえです。
ことわざは物事の表裏を巧みに表現しています。
何事も「後悔先に立たず」だから、「転ばぬ先の杖」が大事。
しかし、一方では、
「転んでも、ただでは起きぬ」
失敗にくじけず頑張る心がけを応援してくれるのです。
また、「七転び八起き」ともいい、限りない可能性をも示してくれてもいます。
ではでは
またまた、楽しいことわざをお伝えできますよう続きを書いておきますね。
千里眼 空鶴(くうかく)
投稿日:2016/01/25
先日、比叡山延暦寺に行って来ました。
延暦寺と言えば、1571年の織田信長の焼き討ちで有名ですよね。
私は、真言宗醍醐派で得度しております。故に、直接、この延暦寺とは関係はないのですが、かなり、興味があり、少し、ご説明したいと思います。
日本仏教はある意味、比叡山抜きには語れないからです。
比叡山は、古代より神山として崇められていましたが、この山を本格的に開いたのは、伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう)上人でした。
最澄は、延暦7年(788年)、薬師如来を本尊とする一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建して、比叡山を開きました。
日本の国を鎮め護る寺として、朝廷から大きな期待をされ、桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に賜りました。
最澄は鎮護国家の為には、真の指導者である「菩薩僧(ぼさつそう)」を育成しなければならないとして、比叡山に篭もって修学修行に専念する12年間の教育制度を確立し、延暦寺からは多くの高僧が輩出されることになったのです。
特に鎌倉時代以降には、浄土念仏の法然上人、親鸞上人、一遍上人、禅では臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、法華経信仰の日蓮上人などなど。
日本仏教各宗各派の祖師を育んだことから、比叡山は日本仏教の母山と仰がれています。
不思議なことに、今年は高野山開創1200年。
空海と最澄といえば、日本仏教の歴史上のライバルとしても有名ですね。
また、それは、機会があれば、ご説明しますが、何よりも、この比叡山と高野山の存在こそが、日本における仏教の進歩、一部の限られた人々を救う小乗仏教から、信じる者なら誰しもが救われる大乗仏教へと移り変わる大きなきっかけとなって行ったのです。
この比叡山延暦寺から輩出された、ほぼ全ての各宗派の祖師を私は尊敬します。
故に、鎌倉時代には、民衆に仏教は浸透しました。
なぜならば、わかりやすい教えで、信じ、実践すれば、だれもが救われる教えであったからです。戦争を始めとして、干ばつ、飢饉、は農民を中心とした民衆を苦しめました。そんな人々にとっての心の寄りどころとなって行ったのです。
最後に禅の教えからの言葉です。
●一志不退(いっしふたい)
「自分はこういう人生を送りたい」
志をしっかりともつこと。
志を立てたら、決してそこから引かないこと。
他人の意見に惑わされたり、一時の欲望に迷うことなく、わが志と共に歩み続けることという意味です。
一生懸命に志に向けて努力すること。その努力が未来への希望につながるのです。
悲しいことに希望の裏側には絶望があるのです。
しかし、どんな状況になっても、希望が全くない人生などありません。
なぜなら、あなたが、今生きて存在していること自体、生きたいという希望が叶っているのです。
命を粗末にする前に、とりあえず、「希望」を携帯してみませんか?
千里眼 空鶴
投稿日:2016/01/25
日本語とは、本当に、難解で多種多様な使い方があります。
特にことわざは短い表現に深い意味を含み、人生の指針や教訓を示します。
その中から、仏教に根ざしたものが、たくさん存在します。
その中のいくつかをご紹介しますね。
ちょっと、難解な表現が多いかもしれませんが、私の好きなことわざです。
⚫️一期一会(いちごいちえ)
一生にたった一度の出会い、今日は二度と巡ってこない。
今日の出会いは、今日だけのもの、という意味。
一期とは、
①ある決められた期間。例えば、修行のための一定の期間。
②一生涯。生まれてから死ぬまでの一生。
という意味があります。
仏教の各宗派では、「比叡山参籠十二年間」「高野山の六年間の修行」
など、修行の年限の区切りを「一期」といいます。
茶道の祖である千利休は、「常の茶の湯なりとも、露地へ入るより出るまで、一期に一度の会のように亭主を敬畏すべし。(いつも通りの茶の会でも、茶室へ入る時から退出するまでは、二度とない出会いの場という覚悟で、客人を敬う気持ちが大事なのだ)」と説いています。
また、利休が師と仰いだと言われる、高弟宗啓の著した、「南坊録」の中では、「その日の出会いが、まさに、その日かぎりのものである」、「一座一会」とも言い換えられています。
この考え方は、禅の思想にも通じ、森羅万象が、常に変化することから、一生に一度しか会えないもの、今のこの時を覚悟することに、修行があると説きます。
仏教の無常観を顕します。
⚫️袖すりあうも他生(たしょう)の縁
道を歩きながら見知らぬ人と袖を触れ合う程度の、わずかなめぐりあいにも前世からの深い因縁があります。
他生とは、今生(こんじょう)に対しての表現で、今生が、この世を指すように、その他の生、すなわち、前世及び未来世を指し、目に見えない強い宿縁を意味します。
「人と人との巡り会いは単なる偶然の出来事ではなく、全て、深い因縁によって生じるのだから、どのような出会いも大切にしなければならない」
⚫️過ぎたるはなお及ばざるが如し
物事には程度があり、度が過ぎると、足りないのと同じく不完全なものとなる。
物事にとらわれ、ついバランスを欠くことを示します。
仏教では、かたよりを戒めて、真ん中の道、「中道(ちゅうどう)」を説きます。
お釈迦様は、菩提樹下で解脱され、いわゆる、悟りを開かれた後、自らの体験に即し、「身体を苦しめる苦行も、おのれの身体の欲望を満たす楽行も、ともに正しい修行ではない」と「中道」を説きました。
⚫️後生大事(ごしょうだいじ)
①この世で良い行いをして、あの世の安楽を願うのが大切である。
②ものを大事にすること。
「後生」は、死後に生まれ変わる未来世のことで、あの世、後の世、来世とも言います。
⚫️畜生にも菩提心(ぼだいしん)
牛や馬や犬などにも、仏道に励み、悟りを求めようとする心、すなわち菩提心をすすめるのだ、という教え。
映画「リトル・ブッダ」の冒頭のエピソード。
昔、インドの村に山羊と住んでいたお坊さんが、神々へのいけにえにするため、山羊の喉を切り裂こうとした時、それを見た、山羊が突然笑い出しました。
驚いた、お坊さんが尋ねると、山羊は、
「四九八回も続けて山羊に生まれたが、今度は人間に生まれ変われるのです」と言い、急に泣き始めました。
お坊さんが尋ねると、山羊は、答えました。
「あなたが可哀想でたまらないのです。五百回前の前世では、わたしもあなたのような高僧でした。そして山羊を神に捧げていました」
笑い話のようですが、お坊さんも山羊も転生する姿が描かれていました。
今回は、この辺で。
また、次回、ピックアップして、お伝えしますね。
千里眼 空鶴(くうかく)
投稿日:2016/01/25
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